灯台杜と緑の少年


悲観的で非現実的で怠惰で脆弱で残酷で醜悪で、綺麗なものを書きたいかなとか思います。
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放置してたので、ちゃんとやり直そうと思う。

KY発言を連発するのは“大企業病”のせい? トヨタの不可解な言動
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1002/10/news049.html

リコール問題での会見において、豊田社長が「当社は絶対に失敗しない全能の存在だとは思わない」と発言し、報道陣を唖然とさせたらしい。

これは、何か問題のある発言なのだろうか? どちらかと言えば、唖然とした記者がいることに驚いてしまう。記事にはこうも書かれていた。

「自動車は人の命を預かる乗り物。その自動車メーカーの経営者が『全能ではないから失敗もある』なんてことは、口が裂けても言ってはいけない。失敗がないよう全身全霊を傾けるのが、自動車メーカーのあるべき姿だ」(業界関係者)

失敗がないように全身全霊を傾けるのは結構なことだけれど、それとミスがあるかどうかは、別の問題ではないか? 全身全霊を傾け、言葉で「絶対に失敗はない」と言い続ければ、失敗は起こりえないというのだろうか?

それなら、世の真面目な受験生は、皆、第一志望に受かって幸せになれる。だけど、現実、そんなことはありえないのだ。どんなに努力をしようが、どんな言葉を口にしようが失敗は起こりうる。

だからこそ、失敗が発生したときの対処法を検討しておく必要があるのだ、と思う。問題が大きくならないように。犠牲が出たときに、それ以上、広がらないように。

個人的には、リコールの必要性もないのでは、と思える。見逃しているだけかもしれないが、軽く新聞などを読む限りでは、該当の車の危険度を詳細に調べた記事は見あたらない。

環境に配慮した技術的にすぐれた機能が、運転する人間に不安をいだかせる要因となってしまった、という記事は読んだけれど。

トヨタに失敗があるとすれば、人間の感覚について、気を遣わなかったこと。そしてもう一つは、問題が発生したあとに、隠れて修正を始めたことだろう。

車には興味がないし、むしろ嫌いな方なので、この問題がどうなったとしてもどうでも良いのだけれど、絶対に失敗しない」という言葉が重要で必要なものではないことは確かだと思う。

世の中には、言葉の力を信じている人間が多いのかもしれない。

「やります、できます、絶対です。失敗はありません」

そんな言葉を聞いただけで、疑わず安心できる人間が多くいるのだろう。だけど、そんな善良な人間にはなりたくないし、そんな言葉を無責任に口にするような人間にもなりたくない。

言葉には、それほどの力などないのだから。

人類、みんな平等が良いのかもしれない。平等が良いという人は、沢山いる。でも、気づいているのか? 有限の資源が平等に割り振られたら、暖かい部屋でPCに向かい、ホットコーヒーを飲むこともできないんだってことに。

日本人は、ほぼ全員が平均より上の位置に生きている。だから、平等に何てなったら、みんな今より面倒な暮らしをおくることになる。

だから平等なんていらない、と私は思う。自分とその周りのいくらかの人が幸せならば、どこかで苦しんでいる人間のことなんて考えていられない。世界の片隅にいる人も、住んでいる町の住人も、駅で隣に立つ人もみんなただの他人なのだから、どうでも良い。

いつか、今、書いたものがダメなのものだったと、笑えるようになりたい。
そして、その日に書いたものを、またいつか、下手くそだった、と思えるようになりたいと思う。

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